灰じょんのブログ

灰じょんが10代の記念にブログを書きました。すでに20歳を超えたので、今は思ったことを書いてます。何卒よろしくお願いします。

幸せ、と口にしてほしい。

Twitterで見る、楽しいとか、嬉しいとか、今の私幸せ☺️のような語り。

今までずっと「過剰な語り」だと思っていた。

幸せを過剰に語ることで、本当に自分は幸せなんだと思い込む、どこか言い聞かせているようて、躁鬱の躁状態のように感じていた。

どこかで足元を掬われて、幸せだと思っていたものの形が、一瞬で崩れさるんだと。そう考えていた。


だからか、自分を幸せだと感じる瞬間があまりないように思う。

「楽しい」と言っている時に、口と心に、ガラス一枚の乖離があって、心の奥で、「本当に今の気持ちや感情が、俯瞰的に見た世の中の『幸せ』『楽しい』に該当するのか?」と声がする。


最近、自分の幸せ語りが過小なのではないか、と思っている。

楽しいという声に「楽しい」と合わせる会話をしてきたが、自分の楽しいのハードルが高いだけなのだろうか、それとも単に冬の憂鬱がそうさせるだけか。


昔、カート・ヴォネガットのエッセイ「国のない男」の中で、幸せだと感じたら、ちゃんと口にしてほしい、と書いてあった気がする。


もう少し、幸せなんだと思えたらいいのになぁ。

仕事のことや自分の生活で、やたらと気にしすぎて、後ろ髪を引かれる思いを感じているだけなのかもしれません。

それと、楽しいだけじゃなくて、「僕は優しくて、真面目だ」とか「今日は仕事が良くできた」「いいテリー・ボガードの動きだった」みたいな、自分の中で決めてもいいことの、良し悪しや価値判断を、物差しをかなり他人に委ねてしまっている癖があるからか、なんだか素直に自分の評価ができないのかも。


うーん、寒いからちょっと暗いことを考えるな、今は楽しいはずなのに。


(楽しい「はず」、自分の気持ちの「楽しい」と世の中の「楽しい」という基準を見比べて、世の中の基準に当てはめてしまうやろなぁ、私はそういう考え方と言葉遣いをしている)