今、喫茶店にいる。
コーヒーの飲んで、優雅なひとときを過ごしている。ツイッターを見る、YouTubeを見る、ネットの記事を見る、ツイッターを見るなどしている。
コーヒーをよく飲む。
平日は、職場にて朝と昼にドリップコーヒーを0.5杯を机の上に用意するほか、お昼に必ず缶コーヒーを一本飲んでいる。
土日の休みもコーヒーを飲むことが多い。
平日飲む理由は、眠たいから。昼めっちゃ眠いので、コーヒー飲んで気合いを入れている。
飲まないと気持ちがしゃんとせず、堕落した人間になってしまうからである。
休みに飲む理由は、眠たいからとなんとなく飲みたいからである。
飲まないと気持ちがしゃんとせず、堕落した人間になってしまうからである。
なんとなく飲みたいのは、「もう、飲みたい」という気持ちが湧いてくるということである。
つまるところ、私はコーヒー、カフェイン漬けの生活を送っているわけです。
カフェインレスな生活の方が健康に良いとなんとなく思う。
けれども、別に今そんなに身体ぶっ壊してないし、依存であっても、コーヒー依存は、社会的に容認されているものなので、安心して依存しているのである。
依存というものは、きっと誰しも経験するものだし、その人が何に依存してしまうかなんて、その人にも分からないんだろう。
私が依存しているものも、所詮は、今のところ社会で悪とされてないものに依存しているだけ。
依存するものとか嗜好とか思想とか、さまざまな要素を持つけれど、今のところ、それらが運良くたまたま「社会の目の敵にされない」という位置付けなだけなんだろう。
というかそもそも、昼間に8〜10時間、お昼休憩のみで働かせようという社会の労働の仕組みが健康に良くないでしょ。
私の感想であるが、労働は健康に良くないよなぁ、と思います。
無限に昼寝したい。
なお、私の睡眠時間が足りないのではないか? という指摘は甘んじて受け入れます。もう1時間ぐらい寝たいんだけどね。
ネットもゲームもあるから、つい起きちゃうよね。社会が眠らせてくれないよね。全部社会のシステムが悪いよ。
ちなみに、
「喫茶店によくいく」のではなく「よく行く喫茶店がある」のだ。
自分語りであるが、私は繰り返し癖が強く、こだわりが強い(らしく)、好き嫌いが激しい、そんな子供みたいな性格なので、ルーティーンのようによく行くように。
距離が近いからかなり楽である。
コーヒーでブレイクするというよりも、そもそもブレイクした人生をコーヒーで誤魔化しているのかもしれない。
などと書いてみたけれど、私の人生はそんなにブレイクしたものでもぶっ壊れたものでもない。
運良く生きている。
親に恵まれ、愛され、大学を卒業し、それなりに働いているものである。
たしかに人より劣る部分は多くあるけど、まぁそれなりに優る部分もあるんだろう、若いし、世の中の偏差値で言えばそれなりに賢い方だし、特に借金もないし、ゲームできるから。それも全部運が良かった。
なんていうぼやきを、コーヒーを飲みながら喫茶店で書いている。おわり。本読もうかな、やっぱり昼寝しようかな。