灰じょんのブログ

灰じょんが10代の記念にブログを書きました。すでに20歳を超えたので、今は思ったことを書いてます。何卒よろしくお願いします。

あつい

あつい。

 

 

さて。本題

分からない、分からないが最近の口癖だ。

今何をしているのか、分からない。学んでも学んでもその先は分からない。そもそも学んでいることが分からない。私はこれからどうなるんだろう。分からない。あの人は何を考えているだろう。分からない。私はこんなことしてていいのだろうか。分からない。

 

具体的には説明できないのだが、「分からない」という感触を強く感じている。

何を考えていても、どんな現実逃避をしても、ふと黙った瞬間に空気のように周りにその感覚がだたよい、潮が満ちるように無力感が出てくる。

ただの鬱みたいな症状なのかもしれない。心療内科に行ったことがないので、よく分からない。たぶん、そういうやう。ただの憂鬱なんだと思う。

 

 

この前、現状の進路に対する言い訳と社会に対する違和感みたいなものを話したら「君は学者になったほうが良い。君は本を読まないと納得しないんじゃないか」と先生に言われた。

 

違和感というのは端的に言えば「俺の人生や選択肢ってそもそも俺が決められてねーじゃん」ということである。私、おそらくみなさんもだが、人はその人生において選択肢を選んでいる。しかし、その選択肢自体は選べない。

あと「本当は意思なんて持ってないのに、周りは僕のその行為を意思があるものだと取り扱う。私もその行為の責任を取るはず。しかし、私はなぜ意思がない行為の責任をとらないといけないのだろう。そもそも責任はだれが、なんのために取らないといけないんだろうか」みたいなことである。俺も何を言っているか分からん。

 

ネットの文脈だと学者体質は褒められるかもしれない。かしこい人は無条件で評価が高い。まぁ、私も学者にそういうことを言われたのは、特段嫌な気はしなかった。しかし、私のように怠惰な人間は向いてないだろう。私は一応就職希望者である。

また、単に私の話が遠回りすぎて、また変な視点でしゃべりすぎたために「もっと学生らしく」みたいなことを無意識のうちに思ったのかもしれない。

 

 

むしろ、その発言の後半部分である「君は(そうやって本を)読まないと納得しないだろ」が気になった。

まるで、それは呪いのように、私の周りに漂っている。こんな怠惰なくせに本を読み切らないと前に進めないのは、まさに呪い以外の何物でもないな、と他人事のように思った。それは学問の神様から祝福されているだけかもしれない。

私はできればゲームばかりしたい。学問の神様よりも天鱗やら宝玉やらをだしてくれるようなモンハンの神様とかいないのかな。それと他にも人並みに恋やら愛やら濃い体液やらをしたいのだが……。

 

 

うーん、やる気はないが、やらないと進まない。これはやる気がないまま進んでいくんだろう。あとお金欲しい。六億欲しい。あと彼女は欲しいのだが、自分が誰かの「彼氏」になれる気がしない。そういう存在になるための資格を私は持ってないんじゃないかと思っている。

 

 

 

今の感覚を例えるならば。

 

水たまりがある。みんなはそれを軽々と飛び越え、通学路を進んでいく。

私だけが、それを飛び越える才能も、足を濡らしながら前へと歩く勇気も無く、ただその水たまりを眺めている。

私はみずたまりを飛び越えることができないでおり、またみずたまりを飛び越えない言い訳を必死に考えている。なぜ自分だけがこんな障害にひっかかってしまったのだろうか。みんなと同じはずなのに。

 

 

そのうち、通学路を引き返してきた人たちが私に問う。なぜ越えないのか。

素直になれない私は「この水たまりの模様が良いんだよね」とか「水って蒸発すると消えるらしいじゃない」とか、本当に本当にどうしようもないことばかり言う。いっつもそうだ。肝心なことばかりから逃げている。

みんなはそれを聞いて「そうだね」とか「なんだか君は賢いよね」とか私をやさしく包む。私が偽物だという人はいない。

 

 

まだ、そこから動けずにいる。

そんな気がする。

 

 

……うーん、そこまででは無いかな……?

なんか文章が悲しすぎるな。もう少し明るい性格なんだけど。