灰じょんのブログ

灰じょんが10代の記念にブログを書きました。すでに20歳を超えたので、今は思ったことを書いてます。何卒よろしくお願いします。

独特な人だねって言われて、嬉しくは無くなった。

 

 

ここ2週間はこの本を読んでいる。

図書館の新刊の所に出ていたので、惹かれるように手に取った。正直手に取った時の記憶や感情は曖昧なので、なんとなく手に取ったと思う。なんとなくだ。

 

感想を書こうと思ったが、感想が定まっていない。頭の中でマグマのように決まってない形で沸々としている。それは、キムチ鍋かもしれない。

 

面白いけど、面白くないっていうか、分かりにくいけど、分かりやすいっていうか。読みたいって言うよりも、読まないといけない気がしたというか。

 

 

まぁ、この気持ちはなかなか共有してもらえないので、是非読んで欲しい。

 

 

良い本だから!! 読め!!

 

 

難しいことがわかるタイプの哲学的な入門書だと思う。

内容が大学生でも読めるのは、多分著者自身の説明の分かりやすさなのかな〜〜。

 

 

良い本だから!! 読め!!

 

 

ここから自分語り。

 

 

1つ目。

読書をしない人は、読者のことを呟かないのは当たり前だ。しかし、読書ばかりしている人は、読者の行為自体が、意識に表れることがない。意識してやってくることがないので、おそらく呟かないだろう。

もしくは、インターネットで雑文を書く暇など無駄無駄の無駄なので、粛々と本読んでいるかもしれない。それでも私は書いている。たくさんの無駄を抱きしめている。

 

 

要するに私のように、本よりもYouTubeとゲームが好きな人間が、意識して読書をするからこそ、意識して読書のことをつぶやき、いいねをもらい、「あっ、あの人は本読むんだ〜〜賢そ〜〜」と思われるのである。なんてダサい印象操作。こりゃ首相も怒っちゃうね。

 

そう考えると、自分がアホくさいな〜〜、と思った。

 

 

その2。

変な本を読んでいると思われるのが、良くない気がする。わざわざ人が見つけられないような本を読んで、知識をひけらかしている気もする。

 

ふつうに流行りの小説を読み、ふつうに流行りの映画見て音楽聞きたかったなぁ、とたまに思う。

直木賞の作品を追いかけてさ、直木賞作品はどれもすげぇと思う。会話もしやすいし「本好き」の人たちとの「最大公約数」的なテーマを抑えた方がキャラもちゃんとするではないか。何が哲学だ、何が中動態だ〜〜(もちろん書いている先生はめちゃくちゃ尊敬してます)

 

 

よく分からない哲学に触れてみたと思ったら、ほかの人が見ない動画見て、よく分からない映画見て、どんどん先細りしていく。会話も弾まないではないか。「えっ……あー、そうなんだ、(そのジャンルよく知らね)、すごいね」みたいな会話で終わるのは避けたい。

 

この傾向は、確実に僕を「独特」「特別」な存在にしてるはずなんだけど、だからといって、嬉しくない。さすがにもう嬉しくない。

 

そして僕が特別であることが、僕の自尊心を満たすこととは関係ない。むしろ普通から外れてしまった不安の感触が残る。

 

 

だんだん、趣味が変な方向に尖ってしまっている。僕はふつうに生きてるはずなのだ。ここの「ズレ」は永遠に埋まらないのか。まるで僕が欠陥品みたいな気がする。

 

 

でも、僕はこれが気になるからこれを読んでいる。

だって気になるんだもん。周りの人が気にならなくても俺はこれが気になるから読むし、好きだから聴くし見る。

 

 

その3。補足。

本を読むって足りない感じがしないですか?

テレビでオードリーの若林さんが言ってた気がするけど「知らないから本を読む。だから読んでいる本を見られると、その分野を知らない馬鹿だと思われるのがはずかしい」って。

 

 

なんとなく分かる気がする。

もしかしたら、世界のほとんどの友達は「道徳」とか「運」とか「生き方」とかを決めてしまっていて、自分がそれを決められてないから本を読んでいる錯覚に陥る。

 

 

いや、みんな多分そんなに考えてないのかもしれない。下手すれば、疑問は身を縛るだけだとして、そういった気持ちを全部棚上げして生活を送ってるのかもしれない。

 

 

でも、それならそれで「棚上げできない自分」がうきぼりになるから、あんまりなぁ〜〜。仲間はずれみたいじゃないですか。

 

 

 

……おーん、まぁ、本についてこういったことを考えてしまうと、やる気が流れてYouTubeを見るのである。

最近のおすすめは、よしなま。