テストが始まった。
まともなテスト期間である。
三日間休んでいると、頭の中から大学のことが抜け落ち、勉強もしなくても生活が送れるので、勉強しなくても良い、という結論になっちゃう。休み明けの火曜日にまとめて後悔している。
大学の図書館に着くと、知的レベルと意識レベルがモリモリ上がり、大量の本が読みたくなるし、勉強するモチベが出る。
この意識の差は何から生ずるのか? これはひとえに「環境」とも言える。私は私の行動を、私の意思のみで制限することはできない。「私が勉強する」のではなく、「勉強という行為が可能である」時に「私において勉強させられている」という解釈もできる。
ザ・「中動態の世界」……!
國分功一郎先生の本「中動態の世界」がおもしろい、という話を聞いて、大学で借りたのであった。どこで聞いたのかというと、いんよう!というwebにあるラジオ番組である。
私もイキって借りてみたが、まだ一章を読んだだけである。すごいことが書いてある、しかし、今の私に理解できるのか? 話が難しすぎる、というのが感想である。読んだことのない文章と英訳、そして日本語訳、これらを用いた「中動態」という文法と概念。
いきなりスピノザの哲学で殴られたのは初めてである。拙者文系の大学生であるが、社会学だと思い込んでる経済学部なので、哲学の教養は無に等しいのだ……。
貸出期間の2週間で読めなかったので、先ほど延長してきました、はい。
だれか、詳しい人、教えてほしい、というか一緒に読んで感想ほしい。なんならここにコメントしておいてほしい。
話をテストに戻す。
私は、いまブログを書いている、勉強しろっ。
わかっている。
最後に一言。
嵐の活動休止もあって、世界はまた変わってしまったようだ。そして、世間ではクイーンの曲がかかる機会が少しずつ減っていくであろう。2019年もぶっ放してきたぜ。