灰じょんのブログ

灰じょんが10代の記念にブログを書きました。すでに20歳を超えたので、今は思ったことを書いてます。何卒よろしくお願いします。

電車と遅刻と社会のせい

Title 電車と遅刻と社会のせい

 

 今週は家から最寄りの駅までの時間がギリギリすぎる。”自分に対して、こいつ計画性と時間感覚おかしいだろって感じ。将来の行動が読めてないんか?” って問い詰めたい感じだな。まあ、読めてないんだけど。

 すごく短い作業、階段の登り降りや、上着を着るとか、コーヒーを手に取るとか、マスクをつけるとか家を出る準備の中でそういう意識されないものを、0秒で換算してしまってるんだと思う。すぐできることはすぐできる。それが積み重なるときちんと時間が経過するとも知らずに。

 あと分くらい早く見積もらないといけないんだろうなぁ。5分。

 でも間に合うか合わないかは、分の世界なんだよね。この気持ちがぎりぎりまで、だらけさせる。

 そして、水曜日と土曜日。家を出るのが遅すぎて、乗ろうと思ってた電車を逃したわけですね。水曜日は道途中の踏切で乗るつもりだった電車を見送り、土曜日はスーツと革靴のはずなのに、外に出てからスニーカーを履いてしまったことに気づいたので、道半ばで諦めて引き返した。

 

 これは補足なのだけど、最寄り駅と僕の家の関係は、数字の「4」の書き始めと書き終わり、みたいな場所にある。4の「L」に近いのが線路である。Iの下が僕の家で、下から上へ向かうイメージを持ってもらいたい。電車はLの右からやってきて上へ向かう。下の交点に踏切がある。頂点というか上の頂点が駅だ。

 電車に乗れるか乗れないかのギリギリはどこにあるかというと、LIが交わるところの踏切である。自分が家から駅に向かい、LとIの交点、つまり踏切に差しかかった時に、踏切の音がしなければ安全圏。踏切を越えてすぐで踏切の音がしたら、結構ギリギリ。踏切で止まってしまったら乗り損ねる。乗るはずの電車を踏切で見送ることになるのだ。 ほそくおわり

 

 そんで、なんで僕が遅れるか、という理由を考える。

 1つ目は、私の性格が怠慢だから。ギリギリまでサボりたがるのである。言い訳なのだが、同じ「定刻に電車に乗る」結果が得られるのだったら、家を出る時間を遅く、そして移動時間を短くした方が、有効に使える時間が長くなりませんか? 言い訳なのだが。

 まさに最小費用最大利潤を追求する、資本主義の姿勢を体現しているとも言える。道徳的にはあんまりよくないけど、ルールが無秩序でぐちゃぐちゃないわけではない。体の奥底にまで資本主義が染みついている。ま、そこまで深く考えてないけどね。

 もう1つは、諦めである。最寄り駅から大学までの移動で乗り換えが多い。私がどれだけ頑張っても、2週間、いや1週間に一回は、どこかで電車の遅延が発生する。乗り換えがうまく接続できず、2時間かかる通学が3時間かかった、ということが、ざらになっている。

 もう、俺が個人のレベルでどれだけ頑張っても、無理なものは無理じゃん、なんで頑張るんだよ、という愚痴である。よって、社会に対する不満が僕の無気力を育み、僕と駅の間で不信な関係が生まれてしまうのだ。

 まぁ、だいたいこんな感じかなー、とだらだら書いてたらまた時間が迫ってきたので、余裕を持って家を出よう(2018/12/15 10:44)(2018年12月27日 21:46 修正)