灰じょんのブログ

灰じょんが10代の記念にブログを書きました。すでに20歳を超えたので、今は思ったことを書いてます。何卒よろしくお願いします。

ご馳走に「面白い」と言い、映画に「分からない」と言う。

どうも、おはこんばんにちは。

灰じょんです。


この前書いた「実は見てなかった……」から多く読んでいただけて嬉しい限り。1日1回は解析を見る。

読んでない方は読んでみてください。


タイトルの話をしましょう。


自分の感覚をどのくらい信じることができるのかっていう話なんだけど、皆々さまにおかれまして、どのようにお考えですか?(ざっくりした質問)


私は直感で生きることに不安がありまして。直感とか感覚で判断したりできる人を見て「なんでそんな自信ある?」って感じなのです。

 だって自分の価値観に自信があって、それに基づいて「これは良い」とか「これはダメ」とか言ってるわけじゃないですか。それを堂々を言えるなんで、おまはん、知識やセンスがあるんやなぁ、おしゃれさんやねぇ〜〜。って感じだけど。


自分がたった20年ぽっち生きてきた中で、案外何も知らないなと思って。ジャズは聞いたことないし、60年代のポップスなんて何があるのかすらわからないし、古典的な映画も読んだことないし、課長島耕作美味しんぼクッキングパパキン肉マンも読んだことないし。アニメもあんまり知らなくて、美術なんてからっきしでしかないわけで。料理だって作ったこともないし、家事もあんまりできないし、トンカチで釘をまっすぐうつこともできないし……。だんだん技術の話になってますが。


私なんてね、例えるなら、義務教育の砂場があって、穴の空いたバケツで掬い上げたくらいの、それくらいしか覚えてないわけです……例えが分かりにくすぎる。


私は何も知らないんですよ。ソクラテスでいう無知の知。むちむちってえっちだね……!  森羅万象に興味もなければ知らないことばかりじゃないですか。僕の知り合いの中に、毎日株価をチェックしたり、日本の政治についてある程度意見が言えたりしたり、ユニコーンに乗ったことがあったり、恋人がいる人なんていないですよ!(いたらごめんね)



閑話休題

日大タックルの監督、立件見送りですよ。あれ不起訴なんですよ。あの日大タックル行為に関する証拠は裁判を起こして起訴するには不十分だ、という結論だして、罪に問わないって検察官が決めちゃったんだもん。というかあれって共同暴行罪なの? 傷害の教唆なの? 良くわかんないけどさ(法学の授業で教えてもらったことをすぐさまネタにしました)


山口メンバーも不起訴ですからねぇ、無実とあんまり変わらない扱いなんですよね。検察官の判断が正しいならば、社会的な制裁が強すぎるのではないかって話になりますよねぇ……。世間的には”やった”人扱いですが。



話を戻します。

僕はやっぱりものを知らないことが多いんだなって思うわけです。

私も20歳になりまして、酒が飲めるようになると、美味しいご飯屋さんに行くこともあるわけです。大人の付き合いとかいうやつです。まだ無いんですけど。

この前牡蠣の美味しい、魚介類の豊富なご飯食べに言ったんですが、やっぱり牡蠣の味わかんないんす。食ったことないんで。美味しいって言われて「ふーん」とか「へぇ〜〜」とか言ってました。

ここで、コミュ力高くて「美味しいです!ありがとうございます!」とか言ってればいいのに、それができないね。

感想を聞かれた時に、正直に言おうとするから「こんな味するんですね、理解しました」みたいな変なこと言うことになるんだよ。リアクションの取りにくいコメントをするな。


ま、みんな美味しい美味しいって言ってるから、僕も大人になったら、分からないなりに、あるいはいつか分かるようになって、美味しい美味しいって言う側に回りたいと思います。


理解ができないものが理解できるまでに時間かかるんだよなぁ……。