灰じょんのブログ

灰じょんが10代の記念にブログを書きました。すでに20歳を超えたので、今は思ったことを書いてます。何卒よろしくお願いします。

ぐるぐるまわる

 おそらく、私は、他の人よりも言葉を大量に抱えていると思う。これは語彙力がある、というわけではない。正確に言うなら、他の人よりも考え事が多いんだと思う。いろんな意味の言葉が脳内を占めている。実際のことは知らないんだけど。

 

 とにかく、私はおしゃべりだ。現実でも友達とお茶しながら2,3時間はひたすらしゃべっている。ネットでも、ツイッターのつぶやく数は多いし、現にそれに飽き足らずこうやって、わざわざブログなんてものをやっている。これは誰かのためではないんだろう。自分のおしゃべりが止まらないだけなのである。自分の携帯に思ったことを書いたメモがある。日記よりも抽象的なことしか書かないのだが、4年で10万字を超えた。要は、何か言いたいことがあるんだろう。他の人が言わないこととか、思ってもないこととか。

 

 あと、簡潔に言うのが下手なので、話すだけでこうやって言葉が多く、話が長くなる。病気だと診断されたことは一度もないし、たたの性格だと思っている。喋って苦になったことは、ほとんどないので、才能というやつかもしれない。

 

 まぁ、私の考えとして、世の中みんなは話したがり屋さんだと思っている。必要なのは話が長いやつではなく、長い話を聞けるやつだと思う。時候の挨拶、自慢、説教、昔話。これはおそらくすべての日本人が話すことができるテーマだ。ただ、聞き手が少ないと思っている。

 静かな人は、話す相手とタイミングがいないか、もしくは俺みたいなどうしようもない出っ歯のおしゃべりが時間を奪っているだけだと思う。

 異論は認める。反論も受け付ける。学生時代、沈黙が好きな人とすこしだけ話したことがあるが、その人に対して「人種が違う」と思った。住む世界が違うんだろう。

 そのひとはみてくれがよかったので、周りがあなたにやたらと喋りかけるだけでは? という疑問がぬぐえない。

 

 話を変える。

 ここ二週間は頭の中に「魂への配慮」という言葉が浮かぶ。意味は分からない。たぶん、深い意味は無いのだろう。

 「魂の配慮」Twitterでつぶやかれていた言葉であり、やけにそれが引っかかっている。

 

 あと、自分が話すときに「アタマ」という言葉を使う。意味は「そういう考え」と同義で使っている。例えば「俺は、そもそも大学は言ったときから四年で就職するアタマだから(大学院進学は考えてなかった)」みたいなフレーズである。

 急に使用頻度が増えた。言葉を打つ時ではなく、しゃべるときに。

 

 オチは無い。

 

 

 こうやってはてなブログを書いていて、気づいた。なんか指に優しいキーボードが欲しいな、と。やたらと文字を書くため、タイピングの時に左手の小指がちょっと痛い。てかなんで、使用頻度の高い「a」をこんな貧相な指にゆだねようと思ったのか。ボタン配置を考えたやつ、指が6本でも生えてたんちゃうか、とすこしおこだ。

 

 あ~~~、人間工学的に優しいやつ。でもこの机にキーボードをおくスペースがないんだけど。