灰じょんのブログ

灰じょんが10代の記念にブログを書きました。すでに20歳を超えたので、今は思ったことを書いてます。何卒よろしくお願いします。

オンラインと元々

ポエミーな文章は読みにくいですよね。

そういう文章ばかり書いてきたから、かしこまった文章はうまく書けない。

変なことばかり言ってきたから、まともな会話が成立しない時がある。

正確な日本語は難しい。

言葉の数と、かけらばかりのリテラシーで誤魔化しています。


この前、タバコの話題があって「チャットモンチーの染まるよみたいなタバコですね」と言ったら、全く意味が伝わらないということがありました。

というか、もう私に、誰かに対して何かを伝える気がないんですよね。


例えというものは、相手にわかりやすく伝えるための手段として使われる言葉なのですが、私の中でそれが錯誤しています。

目の前のなにかを、別の何かを用いて、どれだけ上手く喩えられるか、という大喜利的価値観です。

言葉で押し切る笑い的パッションを持って、とにかく思いついたらすぐ言う、鮮度が落ちないうちに弾丸を詰め込んでぶっぱなす。

そのため、ぶっぱなした後のことは、とんと考えておらぬわけですね、はい。

テレビのお笑いの影響を強く受けて、23歳になりました。


人と人が適当にはなす、なんとなくわらう、適度にニコニコする笑いを見ると、背中がもぞもぞします。もっと激しい会話をしてくれ、と何故か思ってしまいます。

現実で言うと女子的な会話、アニメで言うとゆるいアニメ、まんがタイムきらら的時間に「うぉー!! 我慢できねぇ!」となります。

強い言葉と面白い顔とでかい声、分かりやすいテレビお笑いの図式に影響を受けて、中学からこつこつとやってきました。

実は、高校生の終わりくらいからそれに限度があると思っていたのに、固執ゆえこだわり続け、大学では単純なコミュ障へなっていきました。ま、そりゃそうだわな。

日常の会話から肩の力が入りすぎてるもん。


ま、それでも、友人とラジオ遊びをするなどして、この一本芸を自転車操業で回してきたのです。


社会人2年目の今も、ゲーム友達のコミュニティで同じ手法を使っております。


俺はこのパターンしか使えないのか。ええ、まぁはいそうです。


最近ようやく「そんなに面白いことを言わなくてもいいんだな」と、このブログで書くくらいには、みんながそこまで求めてないことに気付きました。

ま、辞められないんだけどね。


話が脱線します。

オンライン酒とかオンライン通話で、自分で話を振っといてあれなんだけど、黙ってて手持ち無沙汰になると、そっとマリオカートとかスマブラとかウマ娘の育成触っちゃうの、誰か分からん?


単純に失礼なだけな気がする。

まあ、我慢できずやっちゃうけど


会話の中で、反対意見は言わないで、とりあえず同意できるところに同意を示す人と、同意をするときはだまって反論があるときだけ声をあげる人がいて、このバランスって正解無いよな〜、とか考えている。


脱線終わり。

最近、いんよう!と言うラジオを聞いていて「百合アニメはダジャレが面白くないのは、悪いことじゃなくて、あくまでそこに価値観を見出してないだけであって、その子にとってそういうことを言える居場所があって、くだらないことを受け止めてくれる関係性があることを示しているから、良いんです」的な話をしていた気がしまして。あんまりちゃんと思い出せないんですけど、

あー、会話ってそういうものなんだな、って思いました。


じゃあ、明日から、黙って人の話が聞けるようになるか、と言われると、それが無理なんだな、これが。

我慢できないのよ。

罪深いよね、我ながら、だって我慢できないんだもん、沈黙が。おしゃべりがなぁ〜〜〜!!