灰じょんのブログ

灰じょんが10代の記念にブログを書きました。すでに20歳を超えたので、今は思ったことを書いてます。何卒よろしくお願いします。

あー、頭の中がいっぱい

頭の中がいっぱいいっぱいだ。やることが多いからだ。

そうなると、昨日考えていたことが頭から抜け落ちている。


昨日か一昨日くらいに考えてたことがはてブロに向いてるかなと思ってたんだけど……あれなんだっけ忘れちった。



忘れた話はさておいて、とりあえず今思ったことを書く。


最近思うことは「人の話を聞くことは本当に難しい」ということだ。私は20歳の時ぐらいにようやく「話を聞く」の初級スキルが身についた。本当に初級だ。


話を聞くには、気力と体力がいる。疲れるからだ。


まず、相手の発言に引っかからないということだ。これが一番大事だ。


普段会話をしていると、反射で答えている自分に気づく。要は常に相手の話に引っかかっているのである。



相手の独り言に反応して自分で独り言を展開する。相手が「明日の天気はどう?」って聞いてきた瞬間に、私は明日の予定のことを思い出して「明日丸々だわ」とか言う。相手が「私は明日丸々だね」みたいな会話。全然噛み合ってない。お互いがお互いに自分の世界に入っちゃてるような。

こういう会話は僕はよくある。相手の話の腰を折り、相手のお株を奪うように、ただ自分が思ったことをブチまける。発作である。



おたく気質が加わるとこれに情報の質が高まるため、まぁきついわけである。



相手の話を聞くときに、何も言わないこと。僕はこれが本当に苦手で、苦手だから最近取り組み始めた。


相手の「ミスしちゃった〜〜」の話。ここで「そうなんだ」で済ませるのが良い。そうわかり始めた。今までは、言わなくてもいいのに「それはダメでしょ笑」とか。


他人の話において、価値判断をしないということは、ケアにおいては重要なのかもしれない。ウンウン。あー、そうなんだね〜〜って。


おじさんがすると言われている「若者への説教」って、だいたいが反射で言ってるだけか、もしくは会話に対して黙るということを学ばなかったか、そのどちらかなんじゃないだろうか。

昔話や、自慢話も。

多分キーワードに反応して、その人の脳内グーグルの検索上位に来ちゃっただけなんだよね。

検索上位に来ちゃったことは喋っちゃうんだよね。



相手がそう言う話をしているときはしんどい。一に話が面白くない。二に長い。そして、三に、その人の独り言なので、話が私に向いてないことだ。私は「えー、これ、別に俺が聞き手じゃなくてもよくね〜〜。身代わりでいいじゃん」みたいな気持ちになる。自分もよくするんだけど……。



つらい。話まくって発作をすることが。

つらい。人の話に反応せず、じっと自分の意見を飲み込みながら、ウンウンと聞くことが。


慣れてないからである。慣れたい。



なぜ私が20歳になってこれに気付いたのか。答えは明確ではないが、1つは、相談室のおかげである。

面談者の方に、私の発作をひたすら受けとめてもらった。要はひたすら聞いてもらっていたわけである。純度90%ぐらいの専門職の話を聞くという技術によって、私は満たされたのかもしれない。


そういうわけで、私も話を聞けるようになろぉ、と思った。

世界に対しての悪口じゃないけど、今まで、俺の話をひたすらちゃんと聞いてくれるような人間は、居なかったんだなぁ、というのが少し悲しくも得られた実感であった。



もろちん、親もいるし、友人もいる。彼ら彼女らの存在はありがたいと思う。

ただ近すぎる。人の話を聞くには近すぎる、と私の自分勝手な意見だが、そう思う。

例えば「しんどい」「死にたい」「大学辞めたい」「めんどくさいのでバックれました」とかある。面談ぐらいの距離、はっきり言って他人なので「そうですか」とか「なんでそう思ったの?」ぐらいの優しい感じで、「実は僕はこんな感じで……」とか「〇〇だと思っていて……」みたいな言い訳ができる。それが良い。



ただ身内となれば、そうはいかない。

「いや、サボるなよ」とか「それはあかんやろ」と言われる。もちろんあなたの言うことが正しいのだが、俺が欲しいのは善悪の判断じゃなくて、共感であり、優しさであり慰めである。「そだねー」なのだ。


しかし、これは悪いことじゃない。身内だから、仕方ないと思う。立場が逆だったら俺だって言う。

親は、難しいよ。子供を叱ることができるのは親なんだよなぁ……最後の歯止めは親になっちゃう。そう言う責任感がある以上、親は口出しするものなんだなぁ……と子どもの私は思うわけであります。「ワイトもそう思います」



家族や友達は大事だが「話を聞く」ということに関していえば、もろちん、専門家が優れていると思う。



そうだ! 簡単にいえば、21にもなって、俺はただただ大人に甘えているだけなのだ!!



面談、まぁカウンセリングなんだけど、という日常と離れた空間だからこそ成り立つ「話を聞いてもらう」経験は、何だかんだ僕が今日も元気に生きようかなと思う1つの理由である。


(私は面談に通ってるので、薬も処方箋ももらった事はない。そもそも診断もされたことない。私は弱いので、診断によって何か病気の可能性を受け入れることを避けた)


(病気になることは「自分は患者だ」と自覚することである。傷を自覚するにはある程度の強さがいる。まぁ、実際に鬱じゃないし)