もう、もう我慢できない……!
性的なことしか考えられない……!
なんてことを考えながら、ジェンダーの勉強をミリ単位で進めております。
どうも、灰じょんです。
久しぶりに図書館に並んでいるジェンダーの本棚を除いたら「なぜだ……この本もこの本も読んでない……読んだ本読んだ本……あった、これだけ……! 俺は何を勉強してきたんだ……何も勉強してなかったのか……」と変に負けた気持ちになりました。
ジェンダーを勉強しているが、ぶっちゃけ、ジェンダーとかフェミニズムは我が手に負えないので、セックスの方に逃げています。
ツイッターではジェンダーやフェミニズムにまつわる様々な言説を見る。その精度やお気持ち裁判は置いておくが、とにかく多くの人が「性」を意識した社会生活を送っていて、それに対して物申したいほど喫緊の課題であることが分かる。
……いや、そんな話がしたいんじゃない。
俺は「大人になって振り返って思う、高校生の虚構の青春は、そもそも手に入ることがないものである」という話をしたいんである。
ツイッターでも高校生の恋愛のマンガが流れていて、多くのいいね!がされている。
さて、私は私に問わねばならない。辛い質問だ。
「お前にそんな幼馴染は存在するのか?」
ということを……。
「保育園から高校までずっと同じで一緒に帰宅する異性はいたのか?」
「強大な権力をもつ生徒会はあったのか?」
「お前は誰かに尊敬されるほど、目の前のことに熱心に取り組んだ青春を送っていたのか?」
「メガネを外したら実は美少女だった! はそもそもメガネをかけている時点でメガネ美女ではないだろうか」
「私はあのラブコメの主人公のような純情さを持っていたか? もしくは、エロ同人のように容赦なく襲う性欲があったのか? はたまたご都合主義のえろいお姉さんはいたのか?」
………すべて、否だ。
私の高校時代はそうではなかった。
楽しいものであったが。
多感で、若くて、とにかく謝りたいことが多い。可愛らしいが、顔面を殴りたくなるような高校生だった。
私の青春は、そもそもそんなもんだったのだ。
しかし、高校を卒業して多くの「高校生コンテンツ」に触れた。そろそろ青春が改ざんされてきている。とても素敵なものだったかのようだ。
青春ならば、恋愛がある、もしくは打ち込むべき何かがある。って
それは大学生の今も同じ道かもしれない。
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「つまりさ」
じょんは甲高い声で言った。
「つまり?」
彼は聞いた。
「つまりはさ、つまりだよ、今の自分を受け入れてあげなよってことなの」
「受け入れる、ねぇ」
「受け入れることだよ。現在の自分がダメじゃないよって。いや、ダメかもしれないけど。それがダメな過去だったかもしれないよ。でも、それでいいんだ。そこも含めて受け入れないと」
「なんで受け入れないといけないの?」
「なんでって、ねぇ……」
じょんは口をつぐんだ。ちょっとだけ言葉に詰まった。
「答えにならないんだけど」
とじょんは言った。「たぶん、過去は終わったことだからかな。受け入れるとか受け入れないって話をしてもいいんだけど、過去のことだから、受け入れるしかないと思うよ。だからちゃんと受け入れた方が、前を向けると思う、たったそれだけの理由だよ。愛してあげなよ、自分のこと」