灰じょんのブログ

灰じょんが10代の記念にブログを書きました。すでに20歳を超えたので、今は思ったことを書いてます。何卒よろしくお願いします。

えちおねを求めています。

はえっちなおねえさん、つまりえちおねを求めている。非常に。喫緊の課題である。参議院選挙などの問題ではない、マクロレベルにおいては、国の問題は大きい。しかし、ミクロのレベルにおいては、私とえちおねはそれをはるかに上回る問題なのである。

 

 

えちおね。

ツイッターでいいねがつく漫画のえちおねは、だいたいえちおねなのである。処女のような恥じらい、聖母のような包容力、そして娼婦のような性的な魅力や経験値。西洋画の歴史において常に権力から表象を受けていた女性像は、今なおツイッターにおいてえちおねという形で姿を表している。

 

 

えちおねはえっちなおねえさんだが、年齢は重要な要素たりえない。これは私たちが現実において、えちおねを感じることが重要なのである。記述の理論が重視される。

 

地球と太陽の距離は、光速7.8分の距離にあるわけだが、私達は常にこの距離を把握して太陽の光と熱を感じているわけではない。私たちが太陽の熱を感じるときは、もっと近くに感じられるだろう。

 

 

同じように、私達はえちおねに対してえちおねを求めているだけであり、実際に年上かどうかは重要ではない。特に私のように、精神年齢はおねショタのショタのようなクソガキでも、21歳は21歳である。

 

しかし、えちおねと感じられるのであれば、18歳の女性に対しても、えちおねを求めることは可能であろう。グラビアアイドルに集まるおじさんたち、アイドルに神話を求める紳士たち。彼らは皆、娘くらいの年であったとしても、心は少年であり、えちおねの記述を可能とする存在者なのである。

 

おねショタというコンテンツは、第二次性徴期の前後にあたる少年と年が離れたえちおねの関係を示すものであることが多い。えちおねは高校生であったり、大人であったりするわけで、属性は多様であるが、まぁ内実の表象に強い差異が見られることは少ないと考える。

ここはおねショタを専門とする専門家に聞くのが良い。私は強くおねショタを好むわけではない。ペンギンハイウェイはめちゃくちゃすこであった。青春ジュブナイルとしても傑作だが、やはり森見登美彦氏が描く歯科助手のえちおねは、何度見てもスピードとパワーを兼ね備えたえちおねである。

 

はえちおねを求めている。朝起きただけで褒めてくれるようなえちおねを求めているのだ……! 求めているんだ……!

 

 自分の中で精一杯やっていることでも、社会で当たり前とされてしまっていれば、誰も褒めてくれない。これはあまりにも悲しすぎる。授業を受けること、めんどくさい感情との戦いの中、授業を受けてるだけでも褒めてくれよぉ〜! 俺は甘やかされたいんダァ〜〜!!

 

こんな気持ちを埋めてくれるのはえちおねしかいない! しかし、えちおねは現実に存在することは困難を極めている。

 

……おそらく、こういう気持ちを無視することが大人になるということかもしれない。だが、無視しすぎて、年取ってから女子大生とパパ活して赤ちゃんプレイするのも痛すぎるよな……あまりにも痛すぎる。愛情というものは、もらえるものは早いうちに貰いたいものだが……。

 

 

 

……補足するまでもないが、……私は別に親との関係が悪いわけではない。ただえちおね欲求と性的欲求が高まっただけにすぎない。ご了承ください。