言葉をもっと丁寧に扱いたい、と思うことが今まで何回かあって、好きな歌を聞いたり、歌詞とか小説を読むたびに思いを強くする。
ただ、丁寧な言葉は相手に負荷をかける。
行間を読むのは好きかもしれないけど、行間を読ませる事態は自然と避けたい。
一方で言葉を雑に扱って、気にせずがんがん使ってみたい。と言う気持ちもある。
ありがちな表現使って相手に誤解されても、テキトーに笑って「そうっすねw」って言うことは、一種のコミュニケーション技術だから社会的ではある。
心の奥底の話をすると、みんなが使う言葉を避けたいと思っている。小学生のころ、クラスで「うざい」という言葉がはやったが、何でもそれで説明しようとする空気のような何かに腹が立っていたのか、当時の僕は、子供心に「どうすればうざいを使わずに、うざいの言葉を表現するのか」と考えていた。結局どうなったかはあんまり覚えていない。
絶対使わないとは思わないけど、使い古された言葉は、自分の気持ちを込めなくても意味があるから、会話がすごくスムーズに聞こえる。表現に対する怠慢なんじゃないかな、と思う。
ただ、ネットスラングはとても大事なもので、同じコミュニティや友達に対して、同じ言葉を使うことは、親近感が出せる。使うことももちろん大事である。人間は、違う言葉を使う人と友達になることは意外と難しい。
ネットスラングを使いたくないというよりも、その場その場に合った言葉遣いをしたいだけなのかもしれない。友達の会話で「それは草」「序盤、中盤、終盤、隙がないと思うよ」「無職」「まるで将棋だな」「これはうんち」とかは言うんだよなぁ……。
今も仲がいい高校の友達や大学の友達たち、話してみると、読んできた本や見てきたバラエティが意外と一緒だったりする。年が近いからそうなるのは成り行きとして当たり前だが。
バイトするときはテキトーに「ありがとうございます」とか言う。気持ちなんかこもってない。
でも、そういう場は「言葉の意味」よりも「そつなく会話を済ませるクイズ」の正解を出すものだろうから、気を使うことが大事なんだと思う。天気の話にマジレスは求めてないけど、ちゃんと天気の話にのることが大事なんだと思う。
言葉を丁寧に使いと思うなら、こういった言葉を捨てて、自分だけの言葉を持つのもいいのかもしれない。
しかし、立場を変え、相手の思いつきの言葉の行間を読むとなると、これは疲れる。知らない文化の専門用語を多用されたときも、どうすればいいかわからずにいる。テキトーに「そーなんすねー」とか言えるようになればいいと思う。わたしも最近できるように、心がけている。人はあんまり、他人のことを気にしない。相手が何言ったか忘れてるくらいの発言に、勝手に傷つくのもなんか癪だし。
どこか、言葉を大事にしたいと思っている。
米津玄師のライブに行った。
彼のライブすごく良かった。その話はまたするかもしれない。
米津玄師さんは、とても繊細な人だと思った。
自分の言葉をここまで丁寧に扱っていい人がいるんだ、と感じた。歌っている中に直接メッセージがあるし、数少ないMCでは、本当に慎重に言葉を選びながら、ゆっくりと、あの低い声でぽつりぽつりと話していた。
すごく羨ましいと思った。それを歌えることが。自分の世界で閉じないで、その繊細な言葉並びを他人の世界と共有できること。適当に聞き流さずに聞いてくれる人がいること。それがお金になること。言葉にこだわることがよしとされること。歌詞を書き続けられること。
私はみんなとの社会性のために、多少の繊細さを捨ててしまった気がした。いや、もともとそこまで繊細でもなかったような気がした。社会とのすり合わせの言い訳なのかもしれない。
そういや、一年くらい前にとある方に「今、充実してるのか?」と問われ、まず充実の意味を辞書で調べ、長々と思いを書いた覚えたがあります。長ったらしくて、あれだったなぁ……。
こうやって「俺は繊細な言葉でブログを書くぜ」アピールをしてきたが、多分、僕が喋りすぎなだけなんだよね。
それに、結局めんどくさいから、ちゃんとした言葉で喋ってないのかもしれない。変なことばかり喋るし、人の話も聞かないし。
あと言葉を選びたがるわりには、それは書き言葉のことが多くて、話し言葉と書き言葉でも思いつきのままに書くツイッターは本当にめちゃくちゃな言葉遣いしてる。「繊細な俺」なるセルフイメージがあるが、まぁ、普通に言葉遣いは荒いと思う。
みんな、もっと言葉を使わなくても済むんだろうね。毎日ツイッターに張り付いたり、ブログを書いたりすることもなければ、思いついたことを書かなくちゃ、と焦ることないんだろうなぁ。
言葉を言わずに自分の中で気持ちが完結するの、自分に真似できないからすごいと思う。
言葉をもっと丁寧に扱いたい、と思いは嘘じゃないけど、自分の世界で閉じてしまってだれとも喋れなくなるのも嫌だと思う。
また、言葉の意味にとらわれず、雑に扱ってみたいコ。ミュニケーションの手段がための言葉。
ありがちな表現を使って相手に誤解されても、テキトーに笑って「そうっすねw」って言うことは、一種のコミュニケーション技術だから社会的ではある。
ありがちな会話で、相手が思う自分の役割にはまるように適当に返事するのも、必要なのだろう。