灰じょんのブログ

灰じょんが10代の記念にブログを書きました。すでに20歳も後半戦です。思ったことを書いてます。読んでね

書くターンと読むターン


本を無性に読みたくなる時がある。文字を摂取したくなる。ツイッターよりも本を読みたくなる時がある。より高濃度で、より歯ごたえがしっかりしている読み物だ。また、人の話を聞きたくなる時がある。こういう時は、ラジオを聴くことが多い。


その一方で、言葉を書きたくなることがある。喋りたくなる時がある。稚拙なブログを書き始めたり、まとまりのない文章をツイッターに投稿したり、終わりの見えない物語を書き始めたりする。



読むだけの場合は、周りに影響が少ないのだが、しかし、書く時の私は多方面に書き散らかす。

読む気のないフォロワーの皆様に読ませていることに罪悪感が出てくる。そして、頭の奥から「許せ……」という言葉が湧く。



何とも言えない把握出来ないターン制のルールが存在している。読むフェイズと書くフェイズが交互にやってくるような。

たまに、全部がめんどくさくなって「うるせ〜〜! しらね〜〜!!」みたいなフェイズにも移行する。



これはただの仮説なのだが、

人間はむらっけがめちゃくちゃあるんだろうなぁと思う。

人間を機械的で、無機質で、均等にするように見せているだけで、実際はそんなことなくて。社会とか学校とかが見せているだけ。

人間は理性を保つのではあるんだけど、理性だけの生き物でも無いしなぁ……。


女性でいう生理、生理的な現象というか、そういう周期が女性以外の人間にもあるんじゃないかなって、たまに思うのでし。どうしようもなく感情が出てきて扱いきれない、もしくは、それを扱えるけど疲れる、そんな時があるんじゃないのかな、って。



そんな感じで「読みたいとき」とか「書きたいとか」とか「読みたくも書きたくもない時」みたいなのがあるのかなって思った。


それに加えて、ここがめんどくさいところだが、自覚した時と実際がずれる。


「書ける時だ!」って思った瞬間に書けないフェイズに移行したり、「もう本が読めないでちゅ〜〜、諦めるでちゅ〜〜!」ってなった瞬間にするっと「たくさん読みはじめる」ようになったりする。


自分のことだからこそ、自分の理解が追いつかなくて、いろいろ困る。締め切りとか延滞期限とかいった現実とぶつかる。


そして、内田樹さんとか頭のいい人が『書くことと読むことは同じ作業の一環。「読む」ために「書く」し、「書く」ために「読む」』みたいなことをつぶやくと、何が何やら私はすっかり混乱してしまうのだった。