自意識が高めな現代人であり、小中高に存在すると言われる「やったら恥ずかしいこと通称黒歴史リストをそれなりにこなしてきた僕は、もちろん詩も書いたこともある。
まともなコミュニーケーションもとらずにいきなり女子に告白してしまったこともある。あ、思い出した。ちょっとしにたい。
いつから詩を書いたのか? なぜ書こうとしたのか? とにかく気持ちが高まって、何か形にしたいと思ったからだろうか。はっきりとした答えは出てこない。たぶん一生出てこない。
詩を書きだした学生の頃から今に至るまで、熱に浮かされたようにいきなり書いては、また熱に浮かされるまで待つという日々がループしている。だいたい期間は3、4ヶ月。
今がその時だろうか。前が年越し前だった気がする。
ということで今日はこのまま詩をあげよう。
しかし、改めて説明したいことが一つある。皆様の貴重な時間を割いてしまうが。
僕は「詩」という表現が好きなのだ。むしろ「ポエム」という言葉が嫌いだった。憎んでると言ってもよかった。
なんかアホらしくないすか、「ポエム」適当に思いついた言葉を書いてるだけの言葉を詩と呼んで、ザッパにまとめ上げるのはやめてくれ。
ありがとうとか好きだとか、想いとか、そんなことばかりで埋めなくても良いと思ってる。
詩は「言葉にしにくいことをあえて言葉で表す行為」だったり「誰もが説明されるとすぐに分かるのに、誰も説明できない言葉を地面から引っ張りだす作業」だと思ってるから、見えてることをわざわざ言葉にしてもなぁ、という気持ちになる。
太宰治が「自意識過剰」という言葉が広がる前に人間失格を書いてしまったように、誰かがそれ〇〇だよね? と言われる前に僕がそれを言葉にしたい。そこに理由はない。僕が一番に書きたいだけだ。
まぁなんと傲慢なわがままなのだろうかってはなしだけど。
「ポエム」という言葉が嫌いではなくなったのは、すごく単純な理由だ。そんなことがもうどうでもよくなったからである。
じゃあなんで書いたんだよって言われると……すみません……。
意見がぶれちゃうけれど、できたものの良し悪しなんて結構どうでもいい。
詩を書くことにも限らずに、文化的な行為はやるだけで意味がある。
ただできるだけ良いものを心がけることがいい。それが全てだ。
いままでの僕の言葉は全部忘れていい。
できればみんなの本気のポエムを読んでみたい。
というわけで、私の言葉にしたいことを書きたい。くだらぬポエムと笑うがよい。
誕生日まであと4日。