灰じょんのブログ

灰じょんが10代の記念にブログを書きました。すでに20歳を超えたので、今は思ったことを書いてます。何卒よろしくお願いします。

雑談が好きだ

 Title 上から目線のエッセイを書くなら ①


 雑談が好きだ。
 くだらない雑談のやり取りは素敵だと思う。
 シンプルな理由を挙げるなら、これは僕がおしゃべりな性格だからだ。僕はおしゃべりが好きだから、おしゃべりを良いこととする。なんか味気のない話である。

 

 この世の中で話されてことばのうち、いくつかが義務で話されてると思う。
 授業のために先生が話す言語は義務になるだろう。先生はおしゃべりのつもりで話してないだろう。労働のため、何かの使命のために、自分の喉を使っている感覚なのではないだろうか。コンビニの店員の「いらっしゃいませ」同じような義務がのってる。気持ちがこもってないとか、敬語が正しくないだとか言われるけど、それは義務で言わされてるのだから、そんなもんだろう。

 

 雑談は義務じゃない。誰にも強要されない部分だ。たしかにお世辞は雑談には出てくる。でも、基本的に雑談はその人が「話したいこと」が出てくる。感情は嘘をつかない。雨降ってますねー、はいーそうですね、あっ洗濯物取り込んでない、あらら、そりゃ困りましたね。
 糸井重里氏も雑談は嘘にならないってそんなことを、割と最近のほぼ日で言ってた。僕もそう思う。

 まるで自分が見つけたような話をしておりますが、ただ頭が良い人の発言を引っ張てきただけなんですね、申し訳ないなぁ。まぁ、我が物顔で話すけど。

 雑談はすきだと思ってるけど、僕は面白い話しか聞きたくない。実は雑談は苦手なのかもしれない。冒頭で「くだらない雑談」とか言ってるけど「雑談」につける枕詞としての「くだらない」が自然なだけなのである。知り合いから本当にくだらない話をされると脱線してふざけたくなる。

 

 あと、人の話を聞くのが苦手だ。自分の話ばかりしたくなる。相手の話を聞くときも、次に自分が話す番を見計らってないと聞けない。友達のとりとめのない話を聞いてると、つい口出しして、俺が俺がと喋ろうとするワガママなおしゃべりである。一方的な話したがりなのである。


 そしてもちろん、聞き役が苦手なのである。たとえば、相手のターンで自慢げに語られても、興味がないことについてのリアクションは薄くなるし、自慢げに語られる内容を知ってる場合は「それ、俺知ってるから」を言わないように我慢することでいっぱいいっぱいだ。


 そんなことを友人にはなしたら「あなたは聞き役に向いてない」とはっきり言われた。僕もやっぱりそう思うと強く返事をした。


 もし、この世界の人間が「話したがる人間」と「聞きたがる人間」が5:5で存在するならば、僕は生まれた時から「話したがりの人間」側の世界の半分とは分かり合えないのだ!! ででーん。なんつって。

 

 僕は結局、雑談じゃなくて、ただ面白い話がすきなだけかもしれない。ま、それも雑談かな。

 

 どんな雑談が良いのか。
 また例えば、高校の先生の授業中の雑談。結構良いですね。思いついたことがある。しかし、授業でやらなくてはならない内容がある………。それでもこの話をしたい……! でも……この話はテストになんの関係もないし、もしかしたら、面白くもない……。「うーん、関係ないしなぁ……」そう小声で前置きしてから雑談をする。落ちを言い切ったすぐに「ま、特になんでもない話でしたけど」みたいなごまかしをつける。雑談をする前と後の先生の挙動も込みで面白さがある。
 あとは、普段の会話は雑談しかない。男とするふざけた雑談も女性とのふざけた雑談もすきだ。どちらもふざけたことしか言えないのは許してほしい。あ、僕は女性との会話の機会は少ないです。

 授業の内容はあんまり覚えてなくても、その時の雑談だけ覚えていたりする。僕は結構覚えてる。たまに思い出す。
 正しくいうならば、突然会話の中に僕の口から出てきた知識、それを話す瞬間に「あ、この話何年か前にあの人がしてた話だったわ」と脳裏をよぎる。これが頻繁にある。気にしてもないうちに、誰かの雑談が私の知識になっていた。そう確認する瞬間である。果たして、話した本人はこれを覚えてるのだろうか。覚えてなくても雑談なんですよきっと。

 オチはもう思いつかないけれど、雑談という言葉には広さがある。まぁ、雑談は良いよねって、などということをこれからも喋っていくんだろうと思う。現実のおしゃべりなら、この話が終わる前に、違う話を始めてるのでした。

 

 はてさて、二十歳まであと9日。